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美肌の温泉 館内のご案内 癒しの客室 プランと料金 日光東照宮

「日光を見る前に結構というなかれ」という賞賛の中心となるのが、徳川家康を祭っている日光東照宮です。
三代将軍家光が全国から名工を集めて寛永13年(1636年)に現在のような豪壮華麗な姿が完成しました。
神社建築と寺院建築が同時に見られるのが特徴で、55の建造物すべてが国宝、国重要文化財に指定されています。
元和4年(1618年)黒田筑前守長政が奉納した江戸期最大の石の鳥居。
高さ9メートル、柱の太さは3.6メートル、扁額の大きさは畳一畳分もある。
初層の軒下には十二支の彫刻が並んで方角を現している。
5層目の屋根の裏だけ垂木が放射状になっている。
東照宮の表玄関。
唐獅子、獏、麒麟、象、虎などの木彫の精緻さはさすが。
阿吽(あうん)の仁王像を納めているので、明治の神仏分離以前は仁王門と呼ばれていた。
           

一切経1453部6323巻を収める建物。
どっしりとした重層宝形造で、内部には回転式書棚が置かれ、目指すものを簡単に探せる構造となっている。

今ではどこの神社にもある水盤舎。だが、東照宮以前、お浄めは泉や川などで行われており、御手洗を設けたのは東照宮が最初だという。
水盤舎の軒下には、体は魚なのに翼があり、しかも顔が龍という彫刻がある。これは霊獣(想像上の神聖な動物)のひとつで飛龍。
この美しい水盤舎は九州鍋島藩主が奉納したもの。
人気者の「見ざる 言わざる 聞かざる」は幼い頃は悪いことに触れさせず育てよという意味。全部で8面の彫刻がある。
「百物揃千人行列」に使われる衣裳などを保管している。狩野探幽の「想像の象」の彫刻が施された建物としても有名。
           

ピョンと柵を飛び越えたような姿をしていることから、こう呼ばれるが、よく見ると柵と獅子は大きなひとつの石から彫りだされている。
石工の技に感心。

鐘楼・鼓楼の合間に点在する。伊達政宗がポルトガルから材料を輸入して作らせた南蛮鉄燈篭や、葵の紋が逆さにつけられた廻燈篭などが見どころ。

500以上の彫刻で飾られた門で、1日中眺めていても飽きないことから「日暮門」とも呼ばれている。

3基の神輿を収める建物。
中央の葵の紋の入った神輿は徳川家康、向かって右は豊臣秀吉、左は源頼朝のもの。
天井に描かれた天女の姿もお見逃しなく。
           

眠猫の下をくぐってすぐのところにある門で、その先には奥社へと続く道が延びている。
今は私達も気軽に通れるが、江戸時代には将軍しか通ることを許されていなかった開かずの門。

東照宮の膨大な木彫の中で猫はこの1匹だけ。眠っているのもこの一体だけで、眠猫の裏側は雀の彫刻になっている。

狩野派一門の手になる天井画、百間百種の龍の装飾などが施され、きらびやか。
拝殿と本殿を結ぶ石ノ間は神事を行う場所で、名前とは異なり畳敷きだ。

胡粉で塗られた白色なので、一見あっさりしているが、彫刻の数は陽明門より多く、じっくり見ると豪華さがわかってくる。
           

207段もの長い石段は、各段ともに一枚岩。
手すりの部分も石を組んでいるのではなく一枚の医師から掘り出されている。

階段を登りつめたところに立つ青銅製の鳥居。
この向こうがいよいよ家康公が眠る廟所。

銅鳥居からあとひと登りしたところ。
小さいが、黒漆仕上げに真鍮の飾りが施され、重厚な印象がある。

家康公の廟所前に立つ青銅製の門。
袖には蜃(しん)という霊獣がいる。ツバメを食べて城をを描き出すという空想上の動物だ。
           
         

家康公が眠る場所。
当初は木造だてだったが、5代将軍綱吉が金・銀・銅の合金製に造り替えた。
宝塔は一度も開けられたことがなく、不思議な静かさに満ちている。